
施設基準の診療報酬は、遡って算定できません。厚生労働省の通知「基本診療料の施設基準等及びその届出に関する手続きの取扱いについて」(令和8年3月5日 保医発0305第7号)は、各月の末日までに要件審査を終えて届出を受理した場合は「翌月の1日から当該届出に係る診療報酬を算定する」と定めています。承継で院長が交代しても、前の院長が届け出ていた施設基準がそのまま自分のものになるわけではありません。契約が終わった直後は安心したいところですが、実際には期限つきの手続きが同時に走り出す期間です。この記事では、承継後30〜90日でやることを、保険請求・施設基準・労務の3つの時計に分けて整理します。
承継の実務は、契約の締結と鍵の受け渡しで終わりません。承継契約で移るのは、原則として資産・賃借権・従業員との関係といった民間の取引の部分です。保険医療機関としての指定、施設基準の届出、社会保険の適用事業所としての地位、税務上の事業主の地位は、いずれも行政への別の手続きを必要とします。「前の院長がやっていたから続いているはず」と考えると、算定できない加算が出たり、届出の期限を過ぎたりします。
承継直後に同時に動き出す期限は、大きく3つの系統に分かれます。起点が違うので、ひとつのカレンダーにまとめて管理する必要があります。
| 系統 | 期限の起点 | 最初に来る期限 | 根拠 |
|---|---|---|---|
| 保険請求 | 承継後の初回の診療月 | 診療翌月の10日(レセプト提出) | 社会保険診療報酬支払基金 |
| 施設基準 | 厚生局が届出を受理した日 | 受理された月の翌月1日から算定開始 | 保医発0305第7号 |
| 労務・税務 | 開設・事業主変更の事実発生日 | 5日以内(社会保険)/10日以内(労働保険) | 日本年金機構・厚生労働省 |
なお、保険医療機関の指定を切れ目なく引き継ぐ「遡及指定」の要件は、2026年9月1日に改正されています。指定に空白ができると請求サイクル自体が崩れるため、遡及指定ルールの変更と3か月前ルールで先に確認してください。
社会保険診療報酬支払基金は、業務の流れを「保険医療機関は、電子レセプトをオンラインにより、診療翌月の10日までに支払基金に提出します」と説明しています。そして医療機関への支払については「診療した月の翌々月の原則21日までに医療機関の指定する銀行口座に振り込む方法によって行います」としています。
つまり、承継した月に診療した分の売上が現金になるのは、およそ2か月後です。仮に4月1日に承継して4月から診療した場合、5月10日までにレセプトを提出し、入金は6月21日ごろになります。この間も人件費・賃料・医薬品の仕入は毎月出ていきます。承継直後の資金繰りが苦しくなるのは、収益が悪いからではなく、この時間差が構造的に存在するからです。
初回サイクルで特に注意したいのは次の3点です。
この2か月分の資金は、譲渡価額とは別枠で見積もります。総額の内訳は承継開業に必要な資金と資金調達、必要額の逆算は決算書の読み方で把握した月次固定費を使ってください。
ここが承継直後にもっとも損失が出やすい部分です。厚生労働省の保医発0305第7号「第2 届出に関する手続き」の7は、次のとおり定めています。
「各月の末日までに要件審査を終え、届出を受理した場合は、翌月の1日から当該届出に係る診療報酬を算定する。また、月の最初の開庁日に要件審査を終え、届出を受理した場合には当該月の1日から算定する。」
読み取れることは3つです。第一に、遡っての算定は認められていません。届出が翌月にずれれば、その月に算定できたはずの加算はそのまま失われます。第二に、判定されるのは「提出日」ではなく「受理された日」です。第三に、月の最初の開庁日に受理された場合だけ、その月の1日から算定できます。逆に言えば、月初の1日か2日の遅れが、まるまる1か月の差になります。
運用面でも見落としがあります。地方厚生局への届出は郵送または電子申請で行い、近畿厚生局はFAXでの提出を認めていません。また同局は「受理通知書は送付されません」と明記しており、受理されたかどうかはホームページの受理状況ページで自分で確認することになっています。関東信越厚生局も令和7年8月算定分から同様です。「出したから通っているはず」で初回請求に載せないでください。
どの施設基準をいつ出すか、承継の類型で何が引き継げるかは、承継時の行政手続きと事業譲渡と持分譲渡の3類型で確認してください。届け出た後は毎年の定例報告が発生するため、施設基準の定例報告の期限も年間予定に入れておきます。
労務系の届出は、期限がもっとも短い系統です。どの届出が必要になるかは承継の類型で変わりますが、期限そのものは次のとおり公表されています。
| 届出 | 期限 | 提出先 |
|---|---|---|
| 健康保険・厚生年金保険 新規適用届 | 事実発生から5日以内 | 事務センターまたは管轄の年金事務所 |
| 事業所関係変更(訂正)届(事業主の変更) | 事実発生から5日以内 | 事務センターまたは管轄の年金事務所 |
| 労働保険 保険関係成立届 | 保険関係が成立した日から10日以内 | 所轄の労働基準監督署 |
| 雇用保険適用事業所設置届 | 事業所を設置した日の翌日から起算して10日以内 | 所轄の公共職業安定所 |
| 雇用保険被保険者資格取得届 | 被保険者となった事実のあった日の翌月10日まで | 所轄の公共職業安定所 |
| 労働保険 概算保険料申告書 | 保険関係が成立した日から50日以内 | 労働基準監督署・都道府県労働局・日本銀行等 |
| 給与支払事務所等の開設・移転・廃止届出書 | 開設等の事実があった日から1か月以内 | 給与支払事務所等の所在地の所轄税務署 |
| 所得税の青色申告承認申請書 | 1月16日以後に新たに事業を開始した場合は、その事業開始等の日から2月以内 | 納税地の税務署 |
| 個人事業の開業・廃業等届出書 | 事業の開始等の事実があった日の属する年分の確定申告期限まで | 納税地の税務署 |
実務上のポイントは3つあります。
なお、持分譲渡のように法人格が変わらない承継では、新規適用届ではなく事業所関係変更(訂正)届の系統になります。どちらに当たるかは社会保険労務士に確認してください。
手続きの期限は調べれば分かりますが、承継が失敗するときの直接の原因は、たいてい職員の離職と患者離れです。ここは期限がないぶん、後回しになりやすい部分です。30日・60日・90日で区切って考えると整理しやすくなります。
患者への告知は、院内掲示と受付での口頭説明を基本に、承継の前後で継続して行います。診療時間・診療内容・受付方法を変える場合は、変更の実施前に伝えます。院外に向けた告知は医療広告の規制対象になるため、医療広告ガイドラインと口コミを確認してください。カルテと院内システムの移行はカルテとシステムの移行で扱っています。
この30〜90日は診療と経営実務が同時に立ち上がる時期で、院長が両方を抱えるとどちらかが落ちます。実務側を外部に預ける選択肢は事務長代行の判断基準と費用で整理しています。
自動的に引き継がれるものとして扱わないでください。施設基準は保険医療機関ごとの届出であり、開設者が変わる場合は改めて要件を満たしていることを届け出る必要があります。しかも保医発0305第7号のとおり、届出が受理された月の翌月1日からしか算定できず、遡っての算定は認められていません。何をいつ出すかは承継の類型で変わるため、承継日が決まった時点で管轄の地方厚生局に確認してください。
社会保険診療報酬支払基金の説明では、レセプトの提出は診療翌月の10日まで、医療機関への支払は診療した月の翌々月の原則21日までです。4月に診療した分は、5月10日までに請求して6月21日ごろの入金になります。承継月の売上が現金になるまで約2か月かかる前提で資金を用意してください。
日本年金機構は、健康保険・厚生年金保険の新規適用届と事業所関係変更(訂正)届の提出時期を、いずれも「事実発生から5日以内」としています。労働保険の保険関係成立届は成立日から10日以内、雇用保険適用事業所設置届は設置日の翌日から起算して10日以内です。承継日の翌週には最初の期限が来るので、書類は承継前に準備しておきます。
院内掲示と受付での説明を基本に、承継の前後で継続して行うのが実務的です。診療時間・診療内容・受付方法を変える場合は、変更を実施する前に伝えます。院外に向けた告知は医療広告の規制対象になるため、表現の適否は事前に確認してください。個別の表現が規制に当たるかどうかは判断が分かれるので、管轄の保健所に相談するのが確実です。
相場を一律に示すことはできませんが、考え方は決まっています。保険請求の入金が約2か月遅れる構造なので、その期間の人件費・賃料・医薬品の仕入・リース料といった固定費を賄える金額が下限です。譲渡価額の資金計画とは別枠で確保します。具体的な月額は、譲り受けるクリニックの決算書の月次固定費から逆算してください。
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の届出の要否や労務・税務上の判断を保証するものではありません。施設基準の届出は管轄の地方厚生局、開設に関する届出は管轄の保健所、社会保険・労働保険の手続きは年金事務所・労働基準監督署および社会保険労務士、税務上の届出は税理士に必ずご確認ください。数値・制度は2026年9月時点の情報に基づきます。
公開日:2026年9月9日/最終更新日:2026年9月9日(税務の届出について、給与支払事務所等の開設届出書を追記しました)
鎌形 博展(かまがた ひろのぶ)/ 株式会社EN 代表取締役社長。クリニックの開業支援・事務長代行・医業承継(M&A)をワンストップで手がける株式会社ENを率いる。制度改正が相次ぐ医療業界において、開業・承継の実務に精通した立場から現場に即した情報発信を行っている。
医療法人社団季邦会 理事長(首都圏7拠点運営)、東京医科大学救急災害医学講座 非常勤医師
社会医学系専門医指導医、慶應義塾大学大学院経営管理研究科 田中滋・中村洋ゼミ出身