
医療用麻薬を置くクリニックを承継するとき、金庫の中の在庫は什器や一般の医薬品のようには引き継げません。麻薬及び向精神薬取締法は、その診療所が麻薬診療施設でなくなったときは15日以内に所有する麻薬の品名と数量を都道府県知事へ届け出るよう定め、譲り渡せる期間を50日以内、相手を同じ都道府県内に限っています(同法第36条)。向精神薬と覚醒剤原料はさらに別の期限です。承継の類型ごとに、誰が何をいつ出すのかを条文単位で整理します。
引き継げません。麻薬及び向精神薬取締法第24条第1項は「麻薬営業者でなければ、麻薬を譲り渡してはならない」と定めています。麻薬営業者とは麻薬卸売業者や麻薬小売業者(薬局)などで、診療所の開設者は含まれません。ただし書の例外のうち診療所の開設者に認められているのは「施用のため交付される麻薬を譲り渡す場合」、つまり患者への交付だけです。クリニック同士で在庫を売り買いする場面は、この列挙にありません。
したがって、内装や医療機器と一緒に「金庫の中身も込みで」譲渡価額を決めることはできません。買い手は承継後、自分の名義で麻薬卸売業者から仕入れ直します。在庫金額をゼロと見て運転資金を組んでください。売り手の在庫を活かせるのは、次に説明する法第36条の期間内だけです。
例外として、厚生労働大臣の許可を受けて譲り渡す場合は第24条の制限が適用されません(同条第10項)。ただし厚生労働省のマニュアルは、この許可を治験薬の譲渡や不良品の返品といった特殊な場合の手続きとして説明しており、根拠を「第24条第11項」、許可権者を地方厚生(支)局長と書いています。現行条文では第10項であり、項番号がずれています。承継の在庫処理をこの許可で通す前提で段取りを組まないでください。
ここが最も誤解される点です。法第2条第22号は、麻薬診療施設を「麻薬施用者が診療に従事する病院等」と定義しています。建物でも屋号でもなく、免許を持つ医師がそこで診療しているかどうかで決まります。
厚生労働省の「病院・診療所における麻薬管理マニュアル」は、麻薬診療施設でなくなる場合として「診療施設を廃止又は移転したり、開設者が個人から法人に変更したり、法人が解散したり、麻薬施用者が一人もいなくなった場合等」を挙げています。承継の類型に当てはめると次のようになります。
類型そのものの違いは事業譲渡と持分譲渡の違いで整理しています。持分譲渡は手続きが少ないと思われがちですが、麻薬は免許の空白が生じれば届出義務が発生します。
法第36条が届出と譲渡の期限をまとめて定めています。起算日はいずれも「麻薬診療施設でなくなった日」です。
| やること | 期限 | 根拠 |
|---|---|---|
| 所有する麻薬の品名・数量を都道府県知事へ届出 | 15日以内 | 法第36条第1項 |
| 同一都道府県内の麻薬営業者・麻薬診療施設の開設者等へ譲渡 | 50日以内 | 法第36条第2項 |
| 譲渡した品名・数量・年月日・譲受人の氏名・住所を届出 | 譲渡日から15日以内 | 法第36条第3項 |
| 渡せない分は都道府県知事へ届け出て職員の立会いのもとで廃棄 | 50日以内が目安 | 法第29条 |
この50日の間に限り、第24条第1項の譲渡制限は適用されません。許可を取らずに渡せますが、相手は「当該失効した免許に係る麻薬業務所の所在地の都道府県の区域内」にいる者に限られます。買い手が同じ場所を引き継ぐなら問題ありませんが、売り手が別の都道府県で開業し直す場合は持って行けません。
廃棄も勝手にはできません。法第29条は、品名・数量・廃棄の方法を都道府県知事に届け出たうえで、職員の立会いのもとで行うよう定めています。立会いの日程調整に時間がかかることがあるため、50日を待たず、承継日が決まった時点で管轄の保健所・都道府県薬務主管課へ相談するのが実務上の安全策です。
違います。3つを同じ手順で処理すると、覚醒剤原料で期限を落とします。
| 麻薬 | 向精神薬 | 覚醒剤原料 | |
|---|---|---|---|
| 所有量の届出 | 15日以内 | 規定なし | 15日以内 |
| 譲り渡せる期限 | 50日以内 | 50日以内 | 30日以内 |
| 渡せる相手 | 同一都道府県内の麻薬営業者・麻薬診療施設の開設者等 | 向精神薬取扱者(都道府県の限定なし) | 病院・診療所・薬局の開設者など |
| 廃棄 | 届出+職員立会い | 届出不要。回収困難な方法で | 届出+職員立会い |
| 根拠 | 法第36条・第29条 | 施行規則第36条第1項第8号・第40条 | 覚醒剤取締法第30条の15・第30条の13 |
向精神薬の根拠は施行規則第36条第1項第8号です。向精神薬取扱者でなくなった日から50日以内なら、所有する向精神薬を他の向精神薬取扱者へ譲り渡せます。都道府県をまたぐ制限はなく、所有量の届出もありません。ただし厚生労働省の「病院・診療所における向精神薬取扱いの手引」は、この50日を譲り受ける側の項目として書いており、譲り渡す側の一覧には挙げていません。手引だけを見て「渡せない」と判断しないでください。
覚醒剤原料は30日です。覚醒剤取締法第30条の15第1項は、診療所を廃止したときは15日以内に保管場所の所在地の都道府県知事へ品名・数量を報告するよう定め、第2項が同じ起算日から30日以内の譲渡と譲受人の氏名・住所を含む報告を求めています。渡しきれない分は廃棄その他の処分が必要です(第3項)。麻薬の50日に合わせると、覚醒剤原料だけ期限を過ぎます。
麻薬施用者の免許は、都道府県知事が麻薬業務所(そのクリニック)ごとに医師個人へ与えます。買い手は前院長の免許を引き継げず、自分で申請します。申請には医師免許証の提示に加え、麻薬中毒者・覚醒剤の中毒者でないことを証明する医師の診断書が必要です。交付までの日数は都道府県で異なるため、承継日から逆算して着手してください。
有効期間は免許の日からその日の属する年の翌々年の12月31日までです(法第5条)。注意が必要で、上記マニュアルは平成23年4月版のまま公開されており、有効期間を「免許の日から翌年の12月31日まで」と記載しています。古い資料の数字を使わず、e-Gov法令検索の現行条文で確認してください。
売り手側は、業務を廃止した日から15日以内に免許証を添えて業務廃止届を提出します(法第7条第1項)。麻薬管理者は、開設者が変わるとき(個人から法人への変更を含む)は現在の免許をいったん廃止し、新規に申請し直すとマニュアルは説明しています。麻薬施用者は法人化にともなう名称変更なら記載事項変更届で足りるとされ、扱いが分かれます。
保健所・厚生局・都道府県への届出は窓口も期限も別々です。全体の順序は承継時の行政手続きにまとめています。
在庫より、設備と記録が引き継げるかを見ます。
確認はクリニックのデューデリジェンス(買う前に対象の内容を調べる調査)の一項目に入れると漏れません。
在庫の売買という形はとれません。法第24条第1項が診療所の開設者による譲渡を原則として禁じているためです。法第36条第2項の期間内なら譲渡自体は可能ですが、届出をともなう手続きです。
麻薬は、法第36条第2項が譲渡先を同一都道府県内に限るため渡せません。向精神薬にはこの限定がなく、覚醒剤原料も条文上の限定はありません。在庫は廃棄を前提に見積もります。
在庫の届出は不要になり得ますが、免許は別です。麻薬施用者免許は医師個人のものなので、前院長が退けば15日以内の業務廃止届が必要で、新院長は自分で申請します。その間に麻薬施用者が一人もいなくなれば、麻薬診療施設でなくなった扱いです。
同じではありません。向精神薬は所有量の届出が不要で、廃棄も届出・立会いなしに回収困難な方法で行います(施行規則第40条第3項)。一方、滅失や盗取などの事故は剤型ごとの数量基準(末・散剤・顆粒剤100グラム、錠剤・カプセル剤・坐剤120個、注射剤10アンプルなど)以上で届出が必要です。
麻薬は都道府県知事へ届け出て職員の立会いのもとで廃棄します(法第29条)。覚醒剤原料も原則として届出と立会いが必要です(覚醒剤取締法第30条の13)。日程調整が要るため早めに管轄へ相談してください。
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の届出・許可の要否や免許要件の充足を保証するものではありません。麻薬施用者・麻薬管理者の免許申請、所有麻薬届・麻薬譲渡届・麻薬廃棄届、向精神薬および覚醒剤原料の取扱いは、管轄の保健所・都道府県薬務主管課および薬剤師等の専門家に必ずご確認ください。様式や手数料は都道府県ごとに定められています。数値・制度は2026年9月時点の情報に基づきます。
公開日:2026年9月17日/最終更新日:2026年9月17日
鎌形 博展(かまがた ひろのぶ)/ 株式会社EN 代表取締役社長。クリニックの開業支援・事務長代行・医業承継(M&A)をワンストップで手がける株式会社ENを率いる。制度改正が相次ぐ医療業界において、開業・承継の実務に精通した立場から現場に即した情報発信を行っている。
医療法人社団季邦会 理事長(首都圏7拠点運営)、東京医科大学救急災害医学講座 非常勤医師
社会医学系専門医指導医、慶應義塾大学大学院経営管理研究科 田中滋・中村洋ゼミ出身