
クリニックを譲渡するとき、価格の大部分を左右するのが「のれん(営業権)」です。しかし、のれんは決算書に載っていないため、いくらで評価されるのかが見えにくく、院長と買い手の認識がずれやすい部分でもあります。この記事では、クリニックM&Aの相場観と、のれんがどのように算定されるのかを、公的なガイドラインと実務の考え方に沿って整理します。
この記事の要点
譲渡価格の目安は、個人クリニックで数百万〜数千万円、医療法人ではそれ以上に幅広く分布します。仲介各社の公開情報では、クリニックの事業承継価格はおおむね2,000万〜4,000万円程度が一つの目安として示されています(報道・M&A仲介各社の公開情報による/2025年時点)。ただし、これはあくまで平均的なレンジで、診療科・立地・利益水準・院長への依存度によって上下します。
相場を鵜呑みにすると危険なのは、クリニックの価格が「純資産」と「のれん」という性質の異なる二つの要素で構成されるためです。土地建物や医療機器といった純資産部分は比較的評価しやすい一方、のれんは将来の稼ぐ力を見込んで算定されるため、同じ売上でも評価が大きく変わります。承継全体の流れは医院承継の流れを6ステップで解説もあわせてご覧ください。
のれんとは、純資産を超えてクリニックが生み出す「超過収益力」を金銭に置き換えたものです。長年培った患者基盤、地域での信頼、予約が絶えない診療体制などは決算書の資産には計上されませんが、買い手にとっては明確な価値を持ちます。この目に見えない価値がのれん(営業権)です。
のれんが重要なのは、譲渡価格の伸びしろがここに集約されるからです。純資産が同程度の二つのクリニックでも、安定した黒字を続け患者が定着している医院は、のれんが厚く評価され総額が高くなります。逆に、院長の個人的な人気で成り立っている医院は、譲渡後に患者が離れるリスクが読み込まれ、のれんが薄くなりがちです。
企業価値評価には、大きく分けて三つのアプローチがあります。中小企業のM&Aでは、これらを組み合わせて価格の落としどころを探るのが一般的です(出典:中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)」2024年8月改訂)。
純資産に着目するのがコストアプローチで、代表例が時価純資産法です。帳簿上の資産・負債を時価に評価し直して純資産を求め、そこにのれんを加算します。中小の医療機関は税務基準で会計処理していることが多く、簿価と時価がずれているケースが少なくないため、時価への引き直しが前提になります。実務では、この時価純資産に営業利益の数年分を上乗せする「年買法(年倍法)」が広く使われます。
類似する取引や企業の相場と比べるのがマーケットアプローチです。EBITDA(利払い・税引き・減価償却前利益)に、業種や規模に応じた倍率を掛けて事業価値を試算する方法などがあります。似た条件の成約事例が市場の目線を反映するため、相場観を掴むのに役立ちますが、クリニックは案件ごとの個別性が高く、単純比較は難しい面もあります。
将来の収益力に着目するのがインカムアプローチで、代表がDCF法(割引キャッシュフロー法)です。将来のキャッシュフローを予測し、現在価値に割り引いて評価します。成長性を価格に織り込める理論的な手法とされる一方、事業計画の前提次第で結果が動くため、中小クリニックでは補助的に用いられることが多いのが実情です。
年買法での上乗せ年数には、実務上の目安があります。医療法人では営業利益の3〜5年分、個人クリニックでは0〜1年分が一つの水準とされます(M&A仲介各社の実務解説/2025年時点)。あくまで交渉の出発点であり、実際は個別事情で調整されます。
| 区分 | のれん(年買法)の目安 | 背景 |
|---|---|---|
| 医療法人 | 営業利益の3〜5年分 | 組織・体制で診療が回り、承継後も収益が続きやすい |
| 個人クリニック | 営業利益の0〜1年分 | 院長個人に患者が紐づき、承継後の離反リスクが読まれる |
数字はいずれも目安であり、確定した相場ではありません。診療科の将来性、レセプト単価の安定度、スタッフの定着状況などによって、同じ区分でも評価は変わります。
個人クリニックののれんが控えめになりやすい理由は、患者が「医院」ではなく「院長」に付いているケースが多いためです。院長の診療スタイルや人柄を頼りに通院している患者は、院長が交代すると離れる可能性があり、買い手はこのリスクを価格に反映します。
一方で、複数医師での診療体制、標準化された診療フロー、指名に依存しない予約構造が整っているクリニックは、承継後も患者基盤が維持されやすいと判断され、のれんが積み上がりやすくなります。院長依存度をどう下げておくかが、評価を分ける実務上のポイントです。勤務医の開業環境の変化については外来医師過多区域の開業規制と「承継開業」という選択肢も参考になります。
評価を高める打ち手は、売却を決めてからでは間に合わないものが多くあります。日々の経営のなかで、次のような準備を早めに進めておくことが、結果的にのれんの評価につながります。
今すべきこと
株式会社ENでは、開業支援・事務長代行から医業承継(M&A)まで、クリニック経営をワンストップで支援しています。「自院はいくらで評価されるのか」「何から準備すべきか」を整理したい院長は、まずは現状の棚卸しからご相談いただけます。
個人クリニックの事業承継では2,000万〜4,000万円程度が一つの目安とされますが(2025年時点/報道・仲介各社の公開情報による)、診療科・利益水準・立地・院長依存度で大きく変動します。相場は出発点と考えるのが安全です。
のれんは純資産を超える将来の収益力を評価したものです。実務では年買法で「時価純資産+営業利益の数年分」として算定されることが多く、医療法人は3〜5年分、個人クリニックは0〜1年分が目安とされます。
個人クリニックは患者が院長個人に紐づきやすく、承継後の離反リスクが価格に反映されるためです。組織で診療が回る医療法人は収益の継続性が見込まれ、のれんが厚く評価される傾向があります。
立地・患者基盤・許認可・スタッフなどに価値があれば譲渡できる場合があります。ただしのれんは付きにくく、純資産中心の評価になりやすいため、個別の精査が必要です。専門家への相談をおすすめします。
決算・レセプトの整理、院長依存度の低減、スタッフ定着の仕組みづくりが基本です。いずれも時間がかかるため、売却を意識する前から着手しておくほど効果的です。
※本記事の相場・年数・倍率は、M&A仲介各社の公開情報や実務上の一般的な目安に基づく参考値であり(2025年時点)、確定した基準ではありません。実際の評価・税務・契約は個別性が高いため、医師・税理士・M&A専門家など有資格者への確認をおすすめします。
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著者プロフィール
鎌形 博展(かまがた ひろのぶ)/ 株式会社EN 代表取締役社長。クリニックの開業支援・事務長代行・医業承継(M&A)をワンストップで手がける株式会社ENを率いる。制度改正が相次ぐ医療業界において、開業・承継の実務に精通した立場から現場に即した情報発信を行っている。
医療法人社団季邦会 理事長(首都圏7医院運営)、東京医科大学救急災害医学講座 非常勤医師
社会医学系専門医指導医、慶応義塾大学大学院経営管理研究科 田中滋・中村洋ゼミ出身
公開日:2026年7月28日/最終更新日:2026年7月28日