
消防庁の令和5年版消防白書によると、防火管理者の選任が必要な防火対象物は全国で107万9,072件(令和5年3月31日現在)あり、そのうち選任して消防機関に届け出ているのは90万456件(83.4%)です。診療所もこの対象になり得ますが、「うちは小さいから関係ない」と思い込んだまま開業や承継を進める例は少なくありません。この記事では、クリニックに防火管理者の選任義務が生じる目安、選任後に求められる消防計画・訓練・点検、保健所の立入検査との関係を、公表資料にもとづいて整理します。
防火管理者は、消防法第8条にもとづき、多数の人が出入りする建物(防火対象物)で防火管理の中心を担う人です。消防庁の令和5年版消防白書は、管理権原者(建物を管理し、防火管理について権限を持つ人)に防火管理者の選任義務があり、防火管理者は「防火管理に係る消防計画」の作成や、消火・通報・避難訓練の実施など、防火管理上必要な業務を行うと説明しています。
資格については、防火管理の講習課程の修了など一定の資格を持ち、管理的または監督的な地位にある者を、管理権原者が選任するとされています。つまり、資格のある職員を指名して終わりではなく、選任したことと消防計画を消防機関に届け出るところまでが一連の手続きです。消防庁の資料でも、管理権原者が消防機関に防火管理者の選任(解任)届出書を提出し、防火管理者が消防計画作成(変更)届出書を提出する流れが示されています。
クリニックは、高齢者や小児、車いすの患者さんなど、自力で避難しにくい人が日常的に出入りする施設です。火災が起きたときに職員が誰に何を指示し、どの経路で誘導するのかを平時に決めておくことが、この制度の実質的な目的といえます。
愛知県の津島保健所のページは、根拠を消防法施行令第1条の2として、病院・診療所・助産所は収容人員が30人以上の場合に防火管理者の選任義務があると案内しています。福岡市消防局の資料でも、病院・診療所・助産所(消防法施行令別表第一の(6)項イ)は収容人員30人以上が選任の目安として整理されています。
愛知県の案内では、収容人員は次の3つの合計で算定するとされています。病床がない無床診療所では、病床数の部分は0になります。
| 算定の要素 | 内容(愛知県の案内) |
|---|---|
| 従業者数 | 医師、歯科医師、助産師、薬剤師、看護師などの従業者の数 |
| 病床数 | 病室内の病床の数(無床診療所は0) |
| 待合室 | 待合室の床面積の合計を3平方メートルで割った数 |
たとえば、職員10人・無床・待合室の床面積36平方メートルの診療所なら、10人+0+(36÷3=12)で22人です。同じ診療所で職員が15人・待合室45平方メートルなら、15+0+15で30人となり、30人以上に当たります。上は愛知県の算定方法をそのまま当てはめた計算例で、実際の判定は建物の用途や階数、管轄の消防署の運用によって変わることがあります。数字が30人に近いクリニックは、必ず消防署に確認してください。
選任義務の対象外と読めるのは、防火管理者に関する部分だけです。消火器や誘導灯などの消防用設備の設置基準、建物の内装制限、避難経路の確保は別の基準で決まります。内装工事の段階では、消防法の内装制限や避難経路の確認が必要になることを、当ラボの診療所の内装・動線設計の記事でも触れています。「防火管理者が不要=消防法の対象外」ではない点に注意してください。
ビルの一室で開業する場合、建物全体の管理権原者はオーナーや管理会社であることが多く、診療所は自分の区画について管理権原を持つ立場になります。消防庁の白書によると、管理権原が分かれている高層建築物、地下街、一定規模以上の特定防火対象物では、管理権原者どうしが協議して統括防火管理者を定め、建物全体の防火管理を一体で行います。テナントとして入る場合は、そのビルに統括防火管理者がいるか、ビルの消防計画に自院の避難経路や訓練がどう組み込まれているかを、入居前に管理会社へ確認しておくと手戻りを防げます。
選任義務のあるクリニックでは、防火管理者が中心となって次の業務を進めます。名古屋市が医療機関向けに示している防火・防災対策のチェック表と、消防庁の資料をもとに整理します。
| 業務 | 内容 | 出典の記載 |
|---|---|---|
| 消防計画の作成・届出 | 火災時の役割分担、通報、避難誘導、設備点検の計画などを定め、消防機関に届け出る。見直した場合は変更の届出 | 消防庁の届出・報告の流れの資料/名古屋市のチェック表 |
| 避難訓練・消火訓練 | 名古屋市のチェック表は年2回以上の実施と、消防署への事前の届出(通報)を挙げる | 名古屋市のチェック表 |
| 夜間を想定した訓練 | 消防庁の有床診療所向けチェック項目は、訓練のうち1回は夜間または夜間を想定したものとする | 消防庁(有床診療所の自主チェック項目) |
| 火気・施設の管理 | 火元責任者などに必要な指示を出し、避難経路や消防設備の周囲に障害物を置かない | 消防庁(有床診療所の自主チェック項目)/名古屋市のチェック表 |
ここで押さえたいのは、訓練の回数や夜間想定の条件が、有床診療所向けの資料と一般の医療機関向けの資料で表現が異なる点です。無床診療所にどこまで同じ水準を求めるかは、消防署の指導や消防計画の内容によって変わりうるため、「年2回以上」を最低ラインとして消防署に確認するのが現実的です。
診療時間中は、受付、診察室、検査室、処置室に職員が分散しています。消防計画に書いた役割(通報担当、初期消火担当、避難誘導担当)を、院長や常勤医が不在の日でも誰かが担えるように、非常勤職員も含めて割り振ってください。新しい職員が入ったときの周知も、消防計画の運用として欠かせません。採用時の労務面の整理は診療所の採用・労務体制の記事で扱っています。
消防庁の有床診療所向けチェック項目には、消防用設備等について、有資格者などによる半年ごとの機器点検と年1回の総合点検、そして点検結果を年1回消防署長へ報告することが挙がっています。名古屋市のチェック表も、専門業者による機器点検・総合点検と消防署への報告を確認項目にしています。
このほか、消防庁の令和5年版消防白書は、一定の用途・構造などを持つ防火対象物では、防火対象物点検資格者による点検と消防機関への報告が年1回義務付けられていると説明しています。管理開始から3年以上たち、消防法令の遵守状況が優良と認定された防火対象物は、3年間この点検報告が免除される制度もあります。自院の建物がこの対象に当たるかどうかは、用途や規模で決まるため、ここでは判断できません。賃貸ビルの場合はビル側が報告しているケースもあるため、管理会社と消防署に確認してください。
点検の頻度や報告の要否は、有床か無床か、延べ面積、入居する階によって変わります。点検業者に任せきりにせず、直近の点検日と報告日を院内で記録しておくと、保健所や消防署の立入検査のときに説明しやすくなります。
愛知県の津島保健所のページは、診療所への立入検査の根拠を医療法第25条第1項としています。同じページによると、「医療機関防火・防災対策チェック表」は、防火管理者の選任義務がある場合のみ提出する取扱いです。つまり、保健所の立入検査でも、収容人員から選任義務を判定し、義務があるなら選任や消防計画の状況を示す流れになります。
この取扱いは自治体ごとに異なる可能性があります。名古屋市のチェック表は、防火管理者の選任、消防計画の策定、訓練の実施、設備の点検報告、緊急連絡網や避難体制のマニュアル整備、消防署の立入検査の受検日の記録などを一覧にしています。自院の所在地の保健所がどの様式を使っているかは、保健所のホームページで確認できます。立入検査の前に慌てて書類を整えるより、年間の防火管理の記録を日常的に残しておくほうが確実です。
開業や移転では、物件を決める前に収容人員の見込みを算定し、管轄の消防署に事前相談するのが安全です。待合室を広く取るほど収容人員の算定値は大きくなるため、内装の設計段階で30人前後になるときは、設計事務所と一緒に消防署へ相談しておくと、工事後の手戻りを避けられます。
承継開業では、前の院長が選任していた防火管理者、届け出ていた消防計画、直近の点検報告の記録を引き継ぐことになります。防火管理者が退職していれば、新たに選任して届け出る必要が生じるはずですが、具体的な届出の要否や期限は消防署の運用によるため、承継の契約前に確認してください。承継時の行政手続き全般は承継時の行政手続きの記事、開業時の届出は開業届出チェックリストの記事にまとめています。
なお、消防署は例年11月9日から15日に秋季全国火災予防運動を実施しています。令和8年も11月9日から15日の予定と、箕面市が案内しています。この時期は地域の消防署が事業所への立入検査や訓練の呼びかけを強める時期でもあるため、自院の消防計画と訓練の記録を見直すきっかけにできます。
愛知県の案内と福岡市消防局の資料では、診療所は収容人員30人以上が選任の目安です。職員数に待合室の面積を3平方メートルで割った数を加えて算定するため、職員が少なくても待合室が広いと30人に達することがあります。算定は消防署で確認してください。
消防庁の令和5年版消防白書は、防火管理の講習課程の修了など一定の資格を持ち、管理的または監督的な地位にある者を、管理権原者が選任するとしています。院長以外の事務長や管理職の職員を選任する例もありますが、具体的な人選と必要な講習の種類は、管轄の消防署に確認してください。
管理権原が分かれる一定規模以上の特定防火対象物では、統括防火管理者がビル全体の消防計画を作成します。ただし、自院の区画の防火管理者の選任が不要になるかどうかは建物ごとに異なります。ビルの消防計画の内容と、自院に求められる役割を、管理会社と消防署に確認してください。
名古屋市の医療機関向けチェック表は、避難訓練・消火訓練を年2回以上実施し、消防署への事前届出(通報)が必要としています。消防庁の有床診療所向けチェック項目は、そのうち1回を夜間または夜間を想定した訓練とするとしています。無床診療所の具体的な回数は消防計画の内容と消防署の指導によります。
消防庁の資料によると、管理権原者が消防機関に防火管理者選任(解任)届出書を提出し、消防計画の作成や変更も消防機関に届け出ます。提出期限や必要書類は、管轄の消防署の案内で確認してください。
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の施設に防火管理者の選任義務があるかどうかや、届出・点検の要否を保証するものではありません。収容人員の算定、消防計画の届出、消防用設備の点検にあたっては、管轄の消防署・保健所、および消防設備点検業者等の専門家に必ずご確認ください。数値・制度は2026年10月時点の公表資料に基づきます。
公開日:2026年10月27日/最終更新日:2026年10月27日
鎌形 博展(かまがた ひろのぶ)/ 株式会社EN 代表取締役社長。クリニックの開業支援・事務長代行・医業承継(M&A)をワンストップで手がける株式会社ENを率いる。制度改正が相次ぐ医療業界において、開業・承継の実務に精通した立場から現場に即した情報発信を行っている。
医療法人社団季邦会 理事長(首都圏7拠点運営)、東京医科大学救急災害医学講座 非常勤医師
社会医学系専門医指導医、慶應義塾大学大学院経営管理研究科 田中滋・中村洋ゼミ出身