「うちの病院は薬剤師が足りない」という感覚を、第三者に説明できる数字として持っている人は多くありません。厚生労働省は令和5年に薬剤師偏在指標という全国共通のものさしを公表しており、都道府県別・二次医療圏別に、病院薬剤師と薬局薬剤師それぞれの「薄さ」が数値化されています。本記事では、この指標が何を測るのか、全国の実数はどうなっているのか、キャリア判断の材料としてどこまで使えるのか(使ってはいけないのか)を、一次情報に限って整理します。
薬剤師偏在指標とは何を測る指標か?
薬剤師偏在指標は、ある地域の薬剤師の必要業務時間(需要)に対する、実際の労働時間(供給)の比率です。1.0を上回れば需要を満たしており、下回れば足りていないことを意味します。分子・分母ともに単位は「時間」なので、無次元の比率になります。
人口10万人対薬剤師数と何が違うのか?
従来は地域比較に「人口10万人対薬剤師数」が使われてきました。厚生労働省のガイドラインはこれを、地域ごとの医療需要を反映しておらず「ものさし」としての役割を十分に果たしているとはいえないものであったと明記しています。薬剤師偏在指標は、次の3要素を考慮して設計されました(出典:厚生労働省「薬剤師確保計画ガイドライン」令和5年6月9日)。
- 薬剤師の勤務形態・性別・年齢分布(常勤/非常勤、20代〜60代、70代以上で労働時間が違うため標準化する)
- 薬剤師業務に係る医療需要(ニーズ)
- 薬剤師業務の種別(病院/薬局)
供給側は「頭数」ではなく標準化した労働時間で数え、需要側は地域の性・年齢階級別人口と受療率から推計した必要業務時間で数えます。「若手が多いか」「非常勤中心か」「高齢化で入院需要が重いか」がすべて数値に織り込まれる仕組みです。
病院と薬局で指標が分かれているのはなぜか?
病院薬剤師と薬局薬剤師では、患者1人あたりの業務量が同じではありません。そのため需要部分の計算式が分けられ、病院薬剤師偏在指標と薬局薬剤師偏在指標が別々に算出されます。病院側の分母は入院患者数・外来患者の院内処方件数・病院数から、薬局側は応需処方箋枚数・フォローアップ件数・在宅業務実施件数・薬局数から積み上げます。
いずれの労働時間も、施設が定める定員に対する充足率で割り戻しています。定員を埋められていない施設ほど「本来必要だった時間」に補正されるため、欠員が指標に反映される設計です(出典:厚生労働省「薬剤師偏在指標の算定について」令和5年6月9日)。
全国の数字はどうなっているのか?
結論から言えば、病院薬剤師は全国平均で0.80、薬局薬剤師は1.08です。病院と薬局を合算した地域別薬剤師偏在指標は0.99でほぼ均衡しています。つまり薬剤師の総数としては足りているのに、病院側だけが2割ほど需要に届いていない、という構図です。これが「業態偏在」と呼ばれる現象の正体で、ガイドラインも、全国的に病院薬剤師の偏在指標が目標偏在指標を下回っていることを踏まえると病院薬剤師の確保策の充実が図られるべきである、と結論しています。
都道府県別に見るとどこが薄いのか?
病院薬剤師偏在指標を都道府県別に見ると、上位は京都府・徳島県・東京都がいずれも0.94で並び、下位は青森県0.55、秋田県0.56、山形県0.60、三重県0.63、岩手県0.64です。最上位でも1.0に届いていない点が重要で、47都道府県すべてが病院薬剤師については目標水準を下回っています。
薬局薬剤師では様相が変わります。東京都1.42、神奈川県1.25、広島県・兵庫県1.19が上位で、下位は福井県0.73、富山県0.82、鹿児島県0.86です。薬局側は多くの都道府県が1.0前後に達しており、都市部では明確に1.0を超えています(出典:厚生労働省「薬剤師偏在指標の算定について」令和5年6月9日)。
将来推計では順位がどう変わるのか?
厚生労働省は目標年次である2036年時点の推計値も出しています。分子には薬剤師需給予測における薬剤師数の伸び率1.15を、分母の在宅業務実施件数には在宅医療需要の伸び率1.36を乗じたものです。
この推計では順位が大きく動きます。地域別薬剤師偏在指標で見ると、徳島県は現在1.00から将来1.21へ、秋田県は0.84から1.09へ、山口県は0.95から1.17へ上がる一方、沖縄県は0.90から0.87へ下がります。人口減少で分母(需要)が縮むため、現在薄い地域が将来は相対的に厚くなるという逆転が起きるわけです。厚生労働省自身が、現在は薬剤師多数都道府県であっても将来は少数都道府県になることが考えられ、その逆もあり得ると注記しています。10年単位のキャリアを考えるなら、現在値だけを見るのは不十分ということになります。
薬剤師少数区域はどう決まるのか?
区域の分類は3段階で、基準は明快です。目標偏在指標は1.0と定義されており、これは調整薬剤師労働時間と業務量が等しくなる点を意味します。
- 薬剤師多数区域/多数都道府県:偏在指標が1.0より高い
- 薬剤師少数でも多数でもない区域/都道府県:1.0未満のうち上位2分の1
- 薬剤師少数区域/少数都道府県:1.0未満のうち下位2分の1
区域は二次医療圏単位で設定され、都道府県単位でも同時に設定されます。是正の進め方は、1計画期間(原則3年)ごとに少数区域・少数都道府県がそこを脱することを繰り返す積み上げ方式です。さらに、二次医療圏より細かい単位として薬剤師少数スポット(原則市町村単位)を設定し、薬剤師少数区域と同様に取り扱うこともできます(出典:厚生労働省「薬剤師確保計画ガイドライン」令和5年6月9日)。
薬剤師確保計画は医療計画の法定事項なのか?
ここは誤解されやすい点です。薬剤師確保計画は、医師確保計画のように医療法(昭和23年法律第205号)第30条の4第1項に規定する医療計画に定める事項として策定を義務づけられたものではありません。厚生労働省の施行通知が明示的にそう書いています(出典:厚生労働省医薬・生活衛生局総務課長通知「薬剤師確保計画ガイドラインについて」薬生総発0609第2号・令和5年6月9日)。
ただし同通知は、「医療計画について」(令和5年3月31日付け医政発0331第16号厚生労働省医政局長通知)別紙「医療計画作成指針」に、医療従事者の確保に関する記載に当たって踏まえるべき観点として地域の実情に応じた薬剤師の確保策の実施等が新たに記載されたことにも触れています。義務ではないが医療計画に書き込むべき観点として位置づけられている、という中間的な立ち位置です。したがって都道府県ごとの取り組みの濃淡は制度上あり得ます。
都道府県は実際に何をしているのか?
国は「薬剤師確保の支援体制構築推進事業」でモデル事業を実施しています。令和7年度当初予算は18百万円(前年度24百万円)、補助率は10分の10です。以下は同事業の実績報告に記載された事例です(出典:厚生労働省「令和7年度薬剤師確保の支援体制構築推進事業」)。
- 北海道:令和7年3月に「北海道薬剤師確保計画」を策定。薬剤師バンクによる復職支援・就業斡旋の充実、大学の生涯学習事業と連携した病院薬剤師への転職支援の構築などを検討会で協議している。
- 岩手県:地域医療介護総合確保基金を活用した病院薬剤師奨学金返還支援制度を令和8年度から開始。支援対象を病院薬剤師に限定し、業態偏在の是正につなげる設計。
- 岡山県:病院薬剤師偏在指標0.85で薬剤師少数県。二次医療圏別では高梁・新見0.41、真庭0.49、津山・英田0.56が薬剤師少数区域で、県南東部0.93・県南西部0.89との差が大きい。令和5年度の県内医療機関調査では約7割の医療機関が薬剤師が十分に足りていないと認識していた。
県平均0.85の内側に0.41の医療圏が含まれている、という岡山県の例が示すとおり、県単位の指標だけでは落差が見えません。
令和8年度診療報酬改定は薬剤師の処遇にどう関係するのか?
報酬側からの手当ても入っています。ただし対象は保険薬局であり、病院薬剤師の処遇は別枠で扱われる点に注意が必要です。令和8年度改定では調剤ベースアップ評価料 4点(処方箋受付1回につき。令和9年6月以降は所定点数の200分の100に相当する点数)と調剤物価対応料 1点(3月に1回)が新設され、薬局の対象職員について令和8年度・令和9年度それぞれ+3.2%のベースアップ(事務職員等は+5.7%)の実現を支援する、と整理されています。あわせてかかりつけ薬剤師指導料・包括管理料は廃止され、かかりつけ薬剤師フォローアップ加算50点・かかりつけ薬剤師訪問加算230点という実績ベースの評価に置き換わりました。
キャリア面で見落とせないのは、かかりつけ薬剤師の要件です。保険薬剤師として3年以上の保険薬局勤務経験が必要ですが、保険医療機関の薬剤師としての勤務経験は1年を上限として算入できます。病院から薬局へ移る際、病院経験が制度上まったく無駄にならない設計です(出典:厚生労働省保険局医療課「令和8年度診療報酬改定の概要【調剤】」令和8年7月1日版)。
この指標をキャリア判断にどう使えばよいか?
結論としては、「この地域は薄い/厚い」という粗い方向づけには使えるが、個別の職場の忙しさの根拠には使えません。厚生労働省自身が3つの限界を明記しています(出典:厚生労働省「薬剤師偏在指標の算定について」令和5年6月9日/同「薬剤師確保計画ガイドライン」)。
- 二次医療圏内の偏りは表せない。基幹病院の所在エリアで充足していれば、離れたエリアが薄くても医療圏全体の指標は高く出ます。
- 病院・薬局以外の業態は対象外。介護系施設、大学、行政、そして診療所に従事する薬剤師の偏在は考慮されていません。
- 病院と薬局の指標を比較して業務負担の大小を論じてはならない。ガイドラインが明文で留意を求めています。0.80と1.08を並べて「病院のほうが忙しい」と読むのは誤用です。
ガイドラインは、数値を絶対的な基準として取り扱うことや機械的な運用を行うことのないよう十分に留意する必要があるとも述べています。「候補地の二次医療圏はどの区分か」を出発点に、実際の欠員状況・定員充足率は施設に直接確認する二段構えが妥当です。
ガイドラインの確保策は求職側の交渉材料になるか?
なり得ます。ガイドラインが都道府県に示す施策例には、基金を活用した奨学金貸与や薬剤師派遣、キャリアプラン実現の支援、産休・育休等に応じた休暇制度の構築、潜在薬剤師の復帰支援、自動調剤機器・電子薬歴システムによる業務効率化、薬学部の地域枠設定などが並びます。求職者から見れば「確認していい条件」の一覧です。
とくに給与制度の見直しは明示されています。ガイドラインは、病院・薬局間の平均的な生涯年収は同程度と予測される中、20〜40代の薬剤師の給与水準は病院の方が薬局より低く、50代では病院の方が高いという分析結果を示し、若手薬剤師の確保・定着の観点から病院における昇給カーブの見直しなどが有用としています。面接で昇給カーブを確認するのは、制度側の問題認識に沿った質問だといえます。
よくある質問
偏在指標が1.0を下回ると、その地域では就職しやすいということですか?
需要に対して供給が薄いという意味なので、募集が出やすい傾向はあります。ただし指標は二次医療圏単位の平均値であり、圏内の個別施設の欠員状況を示すものではありません。実際の採用枠は施設ごとに確認する必要があります。
自分の勤務地の偏在指標はどこで確認できますか?
厚生労働省の「薬剤師確保対策」ページに、都道府県別・二次医療圏別の偏在指標(現在・将来・現在と将来の比較)が事務連絡の別添として公開されています。各都道府県が策定した薬剤師確保計画にも、当該県内の二次医療圏別の数値が掲載されています。
偏在指標はいつ更新され、確保計画の目標年次はいつですか?
ガイドラインは、偏在指標の見直しは計画期間(原則3年)ごとに国が行うものとする、と定めています。令和7年度の推進事業にも「ガイドラインの改訂に向けた偏在指標等の見直しに係る調査事業」が含まれています。最終目標年次は2036年で、医療計画2計画期間にあたる12年間を偏在是正の期間としています。
病院薬剤師の確保に使える公的な資金はありますか?
地域医療介護総合確保基金があります。ガイドラインは、限りある財源を有効に活用するためにも、病院薬剤師の確保、薬剤師少数区域や薬剤師少数都道府県における薬剤師の確保に重点的に用いるべきであるとしています。岩手県が令和8年度から始める病院薬剤師奨学金返還支援制度は、この基金を活用した例です。
まとめ
薬剤師偏在指標は、「薬剤師は余る」と「病院薬剤師が足りない」が同時に成り立つ理由を数字で示したものです。全国値で病院0.80・薬局1.08、合算0.99という3つの数字が、そのまま構図を表しています。
キャリア判断の要点は3つです。現在値と2036年推計の両方を見ること、県平均ではなく二次医療圏まで下りること、指標が答えを出せない範囲(施設ごとの欠員、診療所や企業などの業態)は直接確認すること。制度側は病院薬剤師の確保を明示的な重点に置いており、給与カーブや復職支援といった論点は国の文書にすでに書かれています。
参考資料
- 厚生労働省医薬・生活衛生局総務課長 / 「薬剤師確保計画ガイドラインについて」(薬生総発0609第2号)/ 令和5年6月9日 / https://www.mhlw.go.jp/content/001298147.pdf / 確認日:2026年8月27日
- 厚生労働省 / 「薬剤師確保計画ガイドライン」(上記通知別添)/ 令和5年6月9日 / https://www.mhlw.go.jp/content/001298148.pdf / 確認日:2026年8月27日
- 厚生労働省 / 「薬剤師偏在指標の算定について」(「薬剤師偏在指標等について」事務連絡の概要資料)/ 令和5年6月9日 / https://www.mhlw.go.jp/content/001298154.pdf / 確認日:2026年8月27日
- 厚生労働省 / 「令和7年度薬剤師確保の支援体制構築推進事業」(令和7年度薬剤師確保のための調査・検討事業実績報告を含む)/ 令和7年度 / https://www.mhlw.go.jp/content/001707279.pdf / 確認日:2026年8月27日
- 厚生労働省保険局医療課 / 「令和8年度診療報酬改定の概要【調剤】」/ 令和8年7月1日版 / https://www.mhlw.go.jp/content/12400000/001717704.pdf / 確認日:2026年8月27日
- 厚生労働省 / 「薬剤師確保対策」(偏在指標の現在・将来・比較の各別添を掲載するページ)/ 2024年9月6日公開 / https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/yakuzaishikakuho.html / 確認日:2026年8月27日
参考・一次出典
- 厚生労働省 / 「薬剤師確保計画ガイドライン」(上記通知別添) / 令和5年6月9日
- 厚生労働省 / 「薬剤師偏在指標の算定について」(「薬剤師偏在指標等について」事務連絡の概要資料) / 令和5年6月9日
- 厚生労働省医薬・生活衛生局総務課長 / 「薬剤師確保計画ガイドラインについて」(薬生総発0609第2号) / 令和5年6月9日
- 厚生労働省 / 「令和7年度薬剤師確保の支援体制構築推進事業」(令和7年度薬剤師確保のための調査・検討事業実績報告を含む) / 令和7年度
- 厚生労働省保険局医療課 / 「令和8年度診療報酬改定の概要【調剤】」 / 令和8年7月1日版
- 厚生労働省 / 「薬剤師確保対策」(偏在指標の現在・将来・比較の各別添を掲載するページ) / 2024年9月6日公開


