※2026年8月時点の情報です。
「いつか開業したいが、勤務医のうちに何をしておけばいいのか分からない」——そんな疑問を持つ先生は少なくありません。結論から言えば、クリニックの開業準備で成否を分ける要素の多くは、退職してからではなく勤務医として働いているうちに仕込んでおくべきものです。開業準備とは、物件探しや届出だけでなく、自己資金・与信・臨床実績・人脈といった「時間をかけないと積み上がらない土台」をつくる作業を含みます。本記事では、厚生労働省の医師統計や日本政策金融公庫の融資基準、開業支援各社の公表データをもとに、勤務医のうちにやっておくべき準備を10項目に整理し、退職後の実務手続きの流れまで現場視点で解説します。
この記事の要点
- 開業準備とは、資金・与信・臨床実績・人脈という「時間がかかる土台」を勤務医のうちに積み上げる作業を含む。
- 日本政策金融公庫では自己資金は開業費用の30%以上が望ましいとされ、計画的な積立は在職中にしかできない。
- 住宅ローンなどの与信は開業前に確保しておくのが原則。開業後は事業融資枠との兼ね合いで組みにくくなる。
- 新規開業の準備期間は物件形態により約12〜24か月。診療圏調査・物件・スタッフ採用が三大課題。
- 保険医療機関指定申請には毎月の提出期限があり、遅れると保険診療の開始が1か月ずれる。
開業準備は勤務医のうちに始まっている
クリニックの開業準備とは、退職後に物件を借りて届出を出す一連の手続きだけを指すのではありません。開業準備とは、資金・信用・臨床実績・人脈という「積み上げに時間がかかる資産」を計画的に用意する作業のことです。これらは勤務医として安定した収入と所属がある間にこそ整えやすく、退職後に慌てて用意しようとすると選択肢が狭まります。
開業の適齢期と準備を始めるタイミング
厚生労働省「令和4年 医師・歯科医師・薬剤師統計」によると、診療所の開設者または法人の代表者の平均年齢は64.9歳で、診療所に従事する医師全体の平均年齢も60.4歳と上昇傾向にあります(出典: 厚生労働省「令和4年医師・歯科医師・薬剤師統計」)。一方で新規に開業する医師の年齢も上がっており、日本医師会の調査では開業5年以内の医師の開業時平均年齢は44.9歳とされています。臨床経験の蓄積と開業後に働ける年数のバランスから、開業の適齢期は一般に30〜40代とされます。準備そのものは、その5年ほど前から少しずつ始めておくのが現実的です。
準備スケジュールの全体像
本格的な開業準備の期間は物件の形態で変わります。テナント開業で12〜14か月、戸建て新築で18〜24か月が目安です(出典: 各開業支援会社の公表スケジュール、2025年)。ただし、資金や与信の準備は「本格準備」の前段階として、勤務医時代から並行して進めておくのが理想です。
| 時期 | 主な準備内容 | 誰がやるか |
|---|---|---|
| 開業3〜5年前(勤務医時代) | 自己資金の積立、与信の確保、標榜科・症例の棚卸し、人脈づくり | 本人 |
| 開業12〜24か月前 | コンセプト決定、診療圏調査、物件選定、事業計画書 | 本人+支援会社 |
| 開業6〜12か月前 | 資金調達(融資)、内装・医療機器の選定 | 本人+金融機関 |
| 開業1〜3か月前 | スタッフ採用、各種届出、保険医療機関指定申請 | 本人+社労士等 |
勤務医のうちにやるべき「お金と信用」の準備
開業準備で最も後戻りしにくいのがお金と信用に関わる部分です。安定した給与所得と所属がある勤務医のうちにしか整えられない要素が多いため、優先的に手をつけましょう。
1. 自己資金を計画的に貯める
開業に必要な総額は診療科によって大きく異なります。下表は開業支援各社が公表する目安で、無床の内科系は比較的抑えられる一方、専門的な医療機器を要する科では高額になります。日本政策金融公庫では、自己資金が開業費用の30%以上あることが望ましいとされています(それ以下でも融資実績はあります)(出典: 日本政策金融公庫の融資の考え方、2025年)。仮に5,000万円規模なら500万〜1,000万円程度の自己資金が一つの目安です。給与の一部を開業資金として別口座で積み立てる習慣を、早い段階でつくっておきましょう。
| 診療科 | 開業費用の目安(総額) |
|---|---|
| 眼科 | 3,500万〜5,000万円 |
| 小児科 | 4,500万〜8,000万円 |
| 泌尿器科 | 5,000万〜1億円 |
| 産婦人科 | 7,000万〜2億円 |
| 脳神経外科 | 1億〜2億円 |
※金額は開業支援各社が公表する目安であり、立地・規模・内装・機器構成で変動します(出典: 開業支援各社の公表資料、2025年)。
2. 与信(住宅ローン等)を先に整える
意外に見落とされがちなのが個人の与信です。マイホーム購入を考えているなら、住宅ローンは開業前の勤務医のうちに組んでおくのが原則です。開業直前や開業と同時期にローンを組むと、金融機関の事業融資枠が圧迫され、開業初年度の資金繰りがタイトになりやすいためです(出典: DtoDコンシェルジュ「住宅ローンを組むメリット・デメリット」、2025年)。また、転職直後は勤続年数が短いと審査に影響することもあります。住宅購入は、開業したクリニックが軌道に乗ってから1〜3年後にあらためて計画するのが安全とされています。
3. 資金調達と事業計画の下地をつくる
2025年時点で金利は緩やかな上昇傾向にあり、医療機関向け融資は依然として積極的なものの、事業計画の精度がこれまで以上に重視されています(出典: 開業融資に関する金融機関動向、2025年)。事業計画書には診療圏調査に基づく想定患者数、月間売上予測、経費内訳、損益分岐点などが必要です。勤務医のうちに、開業を考える診療科・エリアの相場観や、自分が回せる患者数の感覚を意識しておくと、後の事業計画が具体的になります。
勤務医のうちに固める「臨床・人」の準備
お金と並んで時間がかかるのが、臨床の実績と人のつながりです。これらは在職中の日々の積み重ねでしか得られません。
4. 標榜科・症例・スキルを棚卸しする
開業後は「自分一人で完結できる範囲」が診療の軸になります。将来の標榜科を見据え、外来で頻度の高い疾患への対応力、必要な手技、健診・予防接種・在宅など収益の柱になりうる領域の経験を、勤務医のうちに意識的に積んでおきましょう。専門医資格の維持や、開業後に不足しがちな領域(例: 一般内科的な初期対応や小児対応)を今のうちに補強しておくと、開業後の診療の幅が広がります。
5. 連携先とスタッフ候補の人脈をつくる
開業後は紹介・逆紹介の連携先が経営の生命線になります。基幹病院や近隣の専門医との関係、信頼できる看護師・医療事務の候補は、勤務医時代の人間関係の中から生まれることが多いものです。開業準備で最も大きな課題としてスタッフ採用が挙げられ、ある調査では41.0%の医師が人材の確保に苦労したと回答しています(出典: クリニック開業に関する各種調査、2025年)。信頼できる人材に「開業したら声をかけたい」と伝えておくだけでも、後の採用は大きく楽になります。
6. 退職の伝え方とタイミングを設計する
医局や勤務先との円満な関係は、開業後の連携にも影響します。退職の意思表示は、後任確保や引き継ぎに配慮したスケジュールで、就業規則の定めに沿って行いましょう。開業予定日から逆算し、準備期間(テナントで12〜14か月、戸建てで18〜24か月)を確保できるタイミングで退職時期を調整することが大切です。
退職が見えてからやる実務手続きの流れ
資金・与信・人の土台ができたら、退職前後は具体的な実務に入ります。手続きには期限があるものが多く、順番を誤ると開院が遅れます。基本の流れは次のとおりです。
- コンセプトを言語化する(なぜ・どこで・誰のために開業するか)。
- 診療圏調査を行う。半径1〜2km圏内の人口・年齢構成・競合医療機関を調べ、見込み患者数を算出する。
- 物件を選定・契約する(テナントか戸建てかで準備期間が変わる)。
- 事業計画書を作成し、金融機関へ融資を申し込む。
- 内装・医療機器・電子カルテを選定する。
- スタッフを採用する(開業1〜3か月前が目安)。
- 各種届出を行う。保健所への診療所開設届(開設後10日以内)など。
- 保険医療機関指定申請を各厚生局へ提出する。
診療圏調査と物件選定の勘所
診療圏調査は開業の成否を左右する工程です。半径1〜2km圏内の人口・年齢構成・既存医療機関数から見込み患者数を推計します(出典: 各開業支援会社の診療圏調査手法、2025年)。数値だけでなく、駅からの動線や競合の診療内容といった現場の肌感覚を、勤務医時代の通勤・生活圏の観察から養っておくと、机上の調査を補完できます。
保険医療機関指定申請は期限に注意
保険診療を行うには、開設届とは別に「保険医療機関指定申請」を各厚生局事務所へ提出します。提出期限は毎月10〜20日ごろに設定されていることが多く、受理までにおおむね1か月かかります(出典: 各地方厚生局の保険医療機関指定申請案内、2025年)。この期限に間に合わないと、保険診療の開始が1か月まるごと遅れ、開院直後の資金繰りに直結します。スタッフ雇用に伴う社会保険・労働保険の届出も同時期に発生するため、社労士など専門家と分担するのが現実的です。
準備で差がつくポイントと落とし穴
結論として、勤務医時代の準備が充実している人ほど、開業後の立ち上がりがスムーズです。準備が向く人・つまずきやすい人の傾向を整理します。
- 差がつく人: 数年前から自己資金を積立て、与信を先に確保し、連携先・スタッフ候補を持っている。診療圏や経営数値の感覚がある。
- つまずきやすい人: 退職を決めてから資金・人脈をゼロから用意しようとする。住宅ローンを開業直前に組んで事業融資枠を圧迫する。届出期限を軽視して開院が遅れる。
なお、ゼロから作る新規開業に対し、既存クリニックを引き継ぐ承継開業という選択肢もあります。患者・スタッフ・設備を引き継げるぶん準備期間が短く、資金リスクを抑えやすい面があります。自分の状況に合わせて比較検討するとよいでしょう。
よくある質問(FAQ)
Q1. 開業準備は何年前から始めるべきですか?
本格的な準備は物件形態により開業の12〜24か月前からですが、自己資金の積立や与信の確保は3〜5年前から始めるのが理想です。時間のかかる土台づくりほど早く着手するほど選択肢が広がります。
Q2. 自己資金はどのくらい必要ですか?
日本政策金融公庫では自己資金が開業費用の30%以上あることが望ましいとされています。5,000万円規模なら500万〜1,000万円程度が一つの目安ですが、それ以下でも融資実績はあり、事業計画の精度が重視されます。
Q3. 住宅ローンは開業の前と後、どちらで組むべきですか?
原則は開業前の勤務医のうちです。開業と同時期に組むと事業融資枠を圧迫し、初年度の資金繰りが厳しくなります。住宅購入は開業が軌道に乗ってから1〜3年後にあらためて検討するのが安全とされています。
Q4. 開業準備で最もつまずきやすいのは何ですか?
スタッフ採用です。ある調査では41.0%の医師が人材確保に苦労したと回答しています。勤務医時代に信頼できる看護師・医療事務の候補と関係を作っておくと、採用の難度は大きく下がります。
まとめ
クリニック開業の成否は、退職後の手続きよりも、勤務医のうちに仕込んだ土台で大きく決まります。要点は次の3つです。第一に、自己資金と与信は在職中にしか整えにくいので早く着手する。第二に、臨床実績・連携先・スタッフ候補という人の資産を日々の勤務の中で積み上げる。第三に、退職後の届出(診療所開設届・保険医療機関指定申請)は期限管理を徹底し、専門家と分担する。まずは開業したい時期から逆算し、今できる準備の棚卸しから始めてみてください。
株式会社ENでは、医師のキャリア相談、転職先の個別探索、アルバイトのご紹介、開業支援、M&A支援などを行っております。開業の適否や準備の進め方に迷う段階からご相談いただけます。
出典一覧
- 厚生労働省「令和4年 医師・歯科医師・薬剤師統計」https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/04/tou1.html
- クリニック開業の流れ12ステップ(メディカルジャパン)https://www.medical-jpn.jp/hub/ja-jp/blog/clinic.html
- クリニック開業ロードマップ(m3.com開業経営)https://clinic.m3.com/cliniclab/roadmap/preparation-1.htm
- 医師の開業資金・自己資金の目安(AGメディカル)https://www.agmedical.co.jp/knowledge/article/article_7/
- 医院開業前・開業後に住宅ローンを組むメリットとデメリット(DtoDコンシェルジュ)https://www.dtod.ne.jp/open/tips/mortgage/
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監修・著者
鎌形 博展(かまがた・ひろのぶ)
医師/株式会社EN 代表取締役/医療法人社団季邦会 理事長/東京医科大学病院 救急・災害医学講座 非常勤医師
救急・災害医療の現場で臨床経験を積んだ後、慶應義塾大学大学院経営管理研究科(KBS)にて経営学を修める。認知症予防や感染症診断デバイスのスタートアップ経営を経て、現在は東京・神奈川で複数のクリニックを運営する医療法人社団季邦会の理事長を務めるほか、医療業界の構造的な人材課題の解決を目指し株式会社ENを創業。医師紹介プラットフォーム「Med-Pro Doctors」、開業支援コミュニティ「クリニック開業ラボ」、医療機関M&Aアドバイザリーを展開する。現在も東京医科大学病院にて救急・災害医学の臨床に携わる。社会医学系専門医指導医。臨床医・経営者・採用側の三つの視点から、医師のキャリア形成についての実践的な情報を発信している。





