新潟県福祉保健部 松澤知氏へ
ProDoctors運営が独自に取材した内容に基づく記事の【前編】です。
取材・撮影・文/ProDoctors運営
新潟県福祉保健部 松澤知 氏

2017年近畿大学医学部卒業。初期研修修了後、2019年新潟県入庁。新潟県福祉保健部(福祉保健総務課、地域医療政策課)と佐渡地域振興局健康福祉環境部(佐渡保健所)に所属。福祉保健部と保健所業務のほか、嘱託産業医や大学非常勤講師など携わる業務は多岐にわたり、県民のために東奔西走している。コロナ禍では県医療調整本部にて、県内の医療提供体制の整備等に携わった経験を持つ。
佐渡総合病院での初期研修――「20年先を行く最先端医療を学ぶ」
初期研修は佐渡島にある佐渡総合病院で行いました。幼少期、父の仕事の関係で少しだけ佐渡に住んでいた時期がありましたので、約20年ぶりに佐渡に戻ったということになります。
佐渡総合病院を選んだ理由は、一人の患者さんを継続的に診ることができるからです。島内の救急車の9割が佐渡総合病院に搬送されますし、その後帰宅された患者さんも、悪化した時に受診するのは佐渡総合病院です。佐渡総合病院では患者さんを一時的に診て終わりではなく、その後も継続的に関わることが求められるため、患者さんの願いや生活背景等も踏まえたベストな対応は何か、ということを常に考えさせられる環境にあります。 また、同病院長である佐藤賢治(さとう・けんじ)先生からいただいた「20年先を行く最先端医療を学ぶ」という言葉にも大きな影響を受けました。実際に初期研修の2年間で「20年先の医療」を実感することとなります。
国の試算では、高齢者人口は「国全体で見ると2040年まで増加する」という見立てですが、私が初期研修をしていた7、8年前の時点での佐渡は、高齢者人口がちょうどピークアウトする最中でした。つまり、国全体がこれから迎える構造変化が、佐渡ではすでに始まっているということです。また、佐渡の医療は県内だけではなく、県外からも人的応援を受けて成り立っていましたので、島内の医療をどう維持していくのかという問題がすぐ目の前にあったことは、研修医として非常に大きな経験でした。

1対1の医療だけではない、“俯瞰する仕事”への興味
学生時代に臨床医学とは別に興味を持っていたのは「社会医学」でした。当時は開業医として実家を継ぐことを漠然と考えていましたが、佐渡総合病院での経験を経て、この「社会医学」の存在が繋がった感覚を覚えました。「今、佐渡で起きていることが20年後に日本全国で同時に起きたらどうなるのか」、そして「新潟県はどうなってしまうのか」という思いが芽生えた時、1対1の医療に限らず、もっと広い視点で携わることのできる仕事があるのではないか、と考えるようになりました。
「県庁に電話してみるか」――行政医師への入口
そんな時に思い出したのが、保健所の存在でした。保健所は地域の公衆衛生の砦であり、1対1の医療に限らない広い視点で携わることのできる仕事があるのではないかと思い、新潟県庁に連絡を入れました。そこで当時新潟県福祉保健部副部長、現在は私の上司である佐渡保健所長の山﨑理(やまざき・おさむ)先生に繋いでいただき、県庁と保健所を見学できるよう調整していただきました。
山﨑先生や他の県職員の話を聞き、会議などに同席させていただく中で、「新潟県民のために、ここで仕事がしたい」と思ったことを覚えています。そして初期研修修了後、いわゆるファーストキャリア型として新潟県の公衆衛生医師(行政医師)になりました。

佐渡総合病院での初期研修で目の当たりにしたのは、“日本の20年先”でした。
「佐渡島の医療が、やがて全国や新潟県の姿になる」——その実感が、患者さんを1対1に診ることとは違う形で県民のために貢献するキャリアの選択に繋がりました。





