医療法人社団焔 理事長・TEAM BLUE 代表 安井佑氏へ
ProDoctors運営が独自に取材した内容に基づく記事の【前編】です。
取材・撮影・文/ProDoctors運営
医療法人社団焔 理事長・TEAM BLUE 代表 安井 佑 氏

2005年東京大学医学部卒。医療法人社団 焔(ほむら)理事長/TEAM BLUE代表。
2007年NPO法人ジャパンハートに所属し、ミャンマーにて国際医療支援に従事。その後、杏林大学病院形成外科、東京西徳洲会病院形成外科を経て東日本大震災では被災地支援を経験。震災支援を機に在宅医療の志を立て「やまと在宅診療所高島平」(現:やまと診療所)を開設。「おうちでよかった。訪看」「ごはんがたべたい。歯科」「おうちにかえろう。病院」を開設。
父の死が、すべての始まりだった
高校2年生のとき、父が病気で亡くなりました。診断から、わずか3か月でした。
その出来事をきっかけに、私は半ば反動的に『医師になろう』と決めました。私の場合、「医師という仕事に憧れた」というより、「医師でない自分ではいたくない」という感覚の方が、はるかに強かったのだと思います。
今振り返っても、とても冷静な判断だったとは言えません。ただ、当時の自分にとっては、それ以外の選択肢が、そもそも存在しなかったのだと思います。
そのため、「医師であること」は前提条件の一つでした。
目指す理由を言語化する前に、“すでに決まっていた“、という感覚に近いと思います。
当時、明確なドクター像があったかというと、特にありませんでした。「医師とはどういう存在なのか」ということ自体、深く考えたことがありませんでした。親族に医師もおらず、医療業界との接点もほとんどないまま、医学部に進学しました。
医学が患者さんにどんな影響を与えるのかを実感
「すべてが新しく、すべてが面白かった」
私が初期研修医になったのは、スーパーローテート制度が始まった直後で、ちょうど第2期生にあたる時期でした。大学病院の雰囲気に医学生として初めて触れた頃から、どこか”自分には合わない”と感じていました。その分、院外でも多様な経験ができるスーパーローテートは、私にとって本当に刺激的でした。
初期研修先では若手の頃から即戦力として扱ってもらい、数多くの修行を積める旭中央病院を選びました。旭中央病院での研修は非常に充実していて、各科を回るたびに、患者さんの臨床に責任をもって関わらせてもらえました。すべてが新しく、すべてが面白かった。
医学が患者さんにどんな影響を与えるのか、その実感がどんどん積み上がっていく時期でした。
研修3年目が近づくと、誰もが専門分野について考え始めます。いざ一つの専門を決めようとすると、どうしてもしっくり来ませんでした。今振り返ると、「もっと広い世界を見たい」「いろんな可能性を知りたい」という気持ちが強かったのだと思います。どの専門を選んでも、その道に入った瞬間、世界が一気に狭まるような感覚がありました。それが、どうしても嫌でした。
世界を広げたかった――ジャパンハートとの出会い
この頃、「何かを成し遂げたい」というより、とにかく「もっと広い世界を見たい」という思いがベースにありました。私は小学校時代をイギリスで過ごし、中高はアメリカにいました。いわゆる先進国の文化は一通り経験してきた中で、医師として生と死に触れるようになったとき、開発途上国で生きる人たちの方が、よりリアルに生と死に向き合っているように感じていました。それが、自分の中で一種のコンプレックスだったのだと思います。
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そんなとき、研修医の先輩から「面白いところがあるよ」と教えてもらったのが、『ジャパンハート』でした。初期研修2年目の夏休みに1週間ミャンマーを訪れたことが、次の挑戦のドアを開きました。
師から学んだ「志を立てて生きる」という姿勢。
そして帰国後、”修行”に励む中で起こった東日本大震災。

実際にミャンマーの村の人たちと一緒に生活してみて、生と死の距離感の近さを、肌で感じました。医療機器も、制度も、お金もない。そんな環境で、「医療者として、君は何ができるんだ?」という問いを、真正面から突きつけられた感覚がありました。
そして何より大きかった存在が、師と呼ばせていただいている吉岡秀人(よしおかひでと)氏との出会いです。
吉岡先生から学んだ一番大きなことは、「志を立てて生きる」という姿勢でした。
吉岡先生は、非常に不器用な人です。当時は誰にも知られていない中で、単身ミャンマーに乗り込み、ジャパンハートを立ち上げていったわけですから。組織運営の面では、「もう少しうまくやればいいのに」と思うこともありました。それでも、自分が「こうありたい」「世の中はこうあるべきだ」と信じていることを、一歩も譲らない。その不器用さこそが輝きであり、人を惹きつける魅力なんだと、間近で教えてもらいました。そして、ミャンマーでは日本では到底できない経験をさせてもらいました。
帰国後は、世界標準の手術技術を身につける必要を感じ、形成外科の道を選びました。杏林大学で2年、その後東京西徳洲会で2年、計4年間、形成外科医としての修行に没頭しました。
その修行の最中、2011年の東日本大震災が起こりました。(ミャンマーで生と死のリアルを経験していたからこそ、)現地に行かないという選択肢は、私の中にはありませんでした。
帰国後してからも臨床医としての“修行”に励む中、2011年に起きた東日本大震災。
「現地に行かないという選択肢はなかった」——「志を立てて生きる」という師から学んだ姿勢が、現実を切り拓いていきます。
次回【後編】では、東日本大震災での経験がどう在宅医療につながっていったのか。
キャリアにおいて必要なのは“修行”と語るのはなぜか。本人の言葉で掘り下げます。
医療法人社団 焔(設立:2013年4月)HP:https://teamblue.jp/
「『温かい死』を通して、『人が人を想う』気持ちを大切にできる世界を作る。」をミッションに掲げ、「やまと診療所」「おうちでよかった。訪看」「ごはんがたべたい。歯科」「おうちにかえろう。病院」を運営。TEAM BLUEとして、目の前の患者さんとご家族の「ストーリーを支える」ことを大切に、地域医療における『最期まで自宅で過ごせる社会』の実現に貢献している。
メディカルジョブアワード2026は 2月28日(土)に開催
安井先生のお話を直接会場で伺える「メディカルジョブアワード2026」は2026年2月28日に開催いたします。ぜひ、お申込みの上でご参加ください。

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