Xで以下のポストがされたところ、医師インフルエンサーによる発言であり、倫理的に極めてセンシティブな議題に対して、断定的に安楽死を認めるべきだと発言しており、当然に炎上しています。

乙武氏も珍しく、茶化さずに少しショックを受けているようにも見えます。このあと、「母の日」に発信も行っております。

そこで、どのような問題があるのか整理してみました。

自律の絶対的欠如

障害を持つ新生児の医療において最も根本的な問題は、患者である新生児自身に自律性(autonomy)がまったく欠如していることです。一般的な終末期医療における治療差し控えや尊厳死の議論では、患者本人の自己決定権や意思が最も重要な正当化根拠となっています。しかし、新生児には「あらゆる意味において自律が欠如している」という特殊かつ重要な特徴があります。

この自律の絶対的欠如という状況下では、以下の問題が生じます

  1. 患者本人の意思表示がない
  2. 過去の言動から推定意思を確認する方法もない
  3. 将来的にも判断能力を獲得できない可能性がある(重度障害の場合)

この状況において、延命治療や安楽死の決定は必然的に他者(医療者や家族)の判断に委ねられることになります。この「他者決定」の正当性をどう担保するかが核心的な問題です。

延命治療の差し控え・停止を正当化する論拠とその限界

治療差し控えを正当化する主な論拠として以下の3つがあります。

1. 「耐え難い苦痛」論

「耐えがたい苦痛」を理由とする治療差し控えは、治療がただ苦痛を引き延ばすだけの場合、それを差し控えることは許されるという考えに基づいています。しかし、この論拠には以下の問題があります

  • 「苦痛の耐えがたさ」の判断が他者に委ねられ、主観的である
  • 医師や家族も新生児の苦痛を正確に見積もることは困難
  • 「耐えがたさ」の基準が曖昧で、個々の症例での判断が恣意的になる可能性がある

つまり、苦痛という主観的な感覚を他者が判断することの難しさがあります。

2. 「生命の質」論

「生命の質(quality of life)」に基づく論拠では、生命の質があまりに低い場合、生命を救おうとすることがかえって患児にとって害になるという考えがあります。しかし、この考えにも以下の問題点があります

  • 「障害を伴った生」と「不幸な生」を同一視する危険性
  • 「生きるに値する生命」と「生きるに値しない生命」を選別する基準が不明確
  • 他者の生命を値踏みする優生思想につながる恐れ
  • 生命の質の評価が主観的で、恣意的な判断になりやすい

3. 「最善利益」論

「最善利益(best interest)」という概念は、患児にとって何が最善かという観点から判断するアプローチです。広く支持されていますが、以下の問題点があります

  • 新生児医療では予後予測や正確な診断が困難
  • 親権者や医療者の利害関心が患児本人の最善利益の判断に影響する可能性
  • 「障害学」の観点からは、健常者の考える「最善利益」が本当に障害新生児にとっての最善利益を代弁できるか疑問

これらの論拠はいずれも、自律の絶対的欠如を補完し、障害新生児に対する治療差し控えを正当化するには不十分と言えます。

安楽死の妥当性について

安楽死については、オランダの「フローニンゲン・プロトコル」が参考になります。このプロトコルでは障害新生児の積極的安楽死の条件として「耐えがたい苦痛」を不可欠の条件としています。

しかし、上述したように「耐えがたい苦痛」の判断には大きな問題があります。さらに安楽死は、治療の差し控えや停止よりもさらに積極的に生命を終わらせる行為であるため、より高度な倫理的正当化が求められます。自律の絶対的欠如という状況では、この正当化はきわめて困難です。

倫理的に妥当な選択肢の模索

そこで、いくつかの代替的なアプローチが提案することができます。

1. 生命予後に基づく客観的基準の確立

「生命予後」の診断を基準とするべきだという提案があります。患児の利害や生命の質と切り離した形で「生命予後」に関する診断のみを考慮することで、治療差し控えに関する意思決定の曖昧さや不透明性を払拭し、医学的根拠に基づく客観的な判定が可能になります。ただし、「現時点の医療水準に照らして生命予後不良が確実視される症例についてのみ」治療差し控えが正当化されるという厳格な規定が必要です。

これにより、より客観的な基準に基づいた判断が可能になります。

2. 新生児緩和ケアの充実

治療差し控えの対象となった患児であっても、完全に医療から排除するのではなく、新生児緩和ケアや在宅ケアの導入・推進が提案されています。緩和ケアの目的は「治療を諦めること」ではなく、患児と両親が直接触れ合って「家族」としての時間を共有する機会を優先することで、短い生涯をできるだけ豊かなものにすることにあります。

このアプローチは、治療を差し控えつつも、患児の尊厳と生の質を最大化する取り組みといえます。

3. 社会的合意形成のプロセス

障害新生児に対する治療差し控えの問題は、個人的・個別的な意思決定の枠を超えて、社会全体としての意識の共有や意思決定に基づく取り組みが不可欠です。両親や医師などの「当事者」に過重な責任を負わせるのではなく、社会全体で議論と合意形成を行うことが重要です。

倫理的に妥当なアプローチに向けて

障害児の延命治療と安楽死の問題は、単純な答えのない複雑な倫理的課題です。以下の点を考慮した包括的なアプローチが必要でしょう

  1. 客観的基準の確立: 主観的な判断ではなく、医学的に確立された客観的基準(特に生命予後)に基づいた判断プロセス
  2. ケアの充実: 延命治療を行わない場合でも、緩和ケアを充実させ、患児と家族の尊厳を守る取り組み
  3. 社会的合意形成: 個別の当事者だけでなく、社会全体での議論と合意形成
  4. 支援体制の充実: 障害とともに生きる子どもとその家族への社会的支援の拡充

安楽死については、自律の絶対的欠如という観点から、その倫理的正当化はきわめて困難であり、現時点では緩和ケアの充実による「良き看取り」を目指すことが、より妥当なアプローチと考えられます。

最終的には、「疑わしきは生命の利益に(in dubio pro vita)」の原則に立ち返りつつ、社会全体として責任ある対応を模索していくことが重要ではないでしょうか。

参考文献

障害新生児に対する治療差し控えの倫理的正当性 森 禎徳

https://doi.org/10.24504/itetsu.33.0_10

著者:鎌形博展
医師、株式会社EN 代表取締役、医療法人社団季邦会 理事長、東京医科大学病院 非常勤医師

東京都出身。埼玉県育ち。
明治薬科薬学部を卒業後、中外製薬会社でMRとなるも、友人の死をきっかけに脱サラして、北里大学医学部へ編入する。
卒業後は東京医科大学病院救命救急センターにて救急医として従事。2017年には慶應義塾大学大学院にて医療政策を学び、MBAを取得。東北大学発医療AIベンチャー、東京大学発ベンチャーを起業した他、医療機器開発や事業開発のコンサルティングも経験。2019年、うちだ内科医院を継承開業。以降、2020年に医療法人季邦会(美谷島内科呼吸器科医院)を継承し、2021年には街のクリニック 日野・八王子を新規開業。2023年には株式会社EN創業。国際緊急援助隊隊員・東京DMAT隊員・社会医学系専門医。趣味はBBQ。43歳で剣道・フェンシングを再開

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